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二人の意見
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私たちという一組
私たちは、あの終戦直後の混乱の中でめ
ぐりあって結婚した。
結婚式場もなく、写真屋さんもなかっ
た。いや、さがせばあったのかも知れない
が、世の中はそれどころではなかったとい
ったほうぶ本当のところだろう。
焼けのこっていた主人の姉の家の六帖
で、友達が、五、六人よって配給のお酒を
のみ、ウクレレをひいて祝ってくれた。
私たちの出発は、現在の世間では想像も
できないほど貧しくささやかだった。
そして私たち夫婦の間柄というものも、
現在の世情や、ジャーナリズムの中にみる
若やいだ甘やかな男女の仲とは大変ちがっ
ていた。
私たちには、そういう青春はなかった。
セむ
生々しいいい方をすれば、きずついたいき
ものが、おたがいのきず口をなめ合うよう
な、そんな感情であったと思う。
主人(新聞記者)はつとめ帰りに、屋台で
どぶろく
濁酒を一ぱいやっては帰っでぎた。(それよ
りほかにのむところがなかった)
体にも心にも若い憤りをみなぎらせてい
て、その持っていき場を、いつも女房にむ
かってぶつけてくるような人だった。
まだガスも出なくて、七輪の上で貴重な
やみのお米をことことと炊いていると、何
かで腹をたてた主人がいきなりそれをけと
ばし、畳の上に、半煮えの米粒が散乱した
ことがある。
私は泣きながら、それを一つぶ一つぶひ
ろった。
ひろって、あつめて、洗って、また煮る
つもりだった。
するといつのまにか、主人がそばにき
-て、しゃがんでいっしょにその米粒をひろ
いはじめていた。
私は今でも、よくそのときのことを思い
出す。
する上、胸の中がひどくあったかくなっ
てくる。
私たちには、今ふうの「愛情」とか何とか
いう、トランプのジョτカτめいた切り札
はなかった9
手紙を竜らつたこともないし、贈物をさ
れたこともない。
結婚後十余年、未だに貧しく、二人でい
っしょに働き、犬を愛し、ときどき二人で
顔を見合せては、おたがいにあきたねー
などとい、いあう。
いつも同じ顔、同じせりふ、同じ考え、
同じ解答、主人はときどき大あくびを七な
がらいう。
「たとえば僕がこういうと仮定するーす
るときみがこう答えるそれに僕がまた
こういうーするとまたきみはーみん
なみんなわかりきっているのさ、たいくつ
だよ」
そんな風に、、日ごろあきあきしているせ
いか、たまに私が病気になると、つとめ帰
りの靴もぬがずに、医者にとんでいったり
する。
十余年の年月が、私たちにも年をとらせ
た。若い憤りはしずまり、主人は振子のご
とく私と会社の問を往復している。
それでも私たちはよかったのだ、幸福で
あると思う。
孤独をあたため合う愛情
幸せな結婚生活を送っている夫婦は、お
そらく、夫婦の愛悟についてあらたまって
考えてみるなどということは、ないにちが
いありません。というのは、夫婦の愛情な
どというものは、空気のように、意識され
ずに自然にかようものだからです。
ところで、昔は、夫婦の愛情は、人まえ
に出さないようにと心がけられたものでし
た。それは、はずかしいこと、というより
なにかはしたないと見られはしないか、と
いう配慮からでもありました。いまでは、
そんな風はなくなってきているようです。
それだけ世間の目もちがってきたというこ
とでしょうか。
しかも、むかしは、夫婦の関係も上下の
関係としてとらえられ、庇護し庇護される
ものという関係での愛情しか育ちませんで
したが、今日では、七だいに対等な関係で
の愛情の形成ということに、質的に変わっ
てきています。
もちろん、そのような変化のなかにも、
なにか変わらぬものが流れつづけているこ
とは事実です。なんともいえぬ心のかよ
い、これこそが夫婦であることの本質であ
る、と考えられるからです。そしてそれ
は、互いにすべて理解しあえる対等なもの
どうしの問にこそ、深く根をおろすものな
のではないでしょうか。
一人で死んでゆかなければならない人間
は、本質的には孤独です。しかも、文明が
進んで人々はますます孤独になりつつあり
ます。騒音のなかの孤独こそ、今日の人々
が背負わされている深いかげかもしれませ
ん。孤独の人間である二人がよりそってあ
たため合う、それが夫婦であることの本質
ではないでしょうかQ
結婚の当初は、それこそ、男女の恋愛感
情そのものかもしれません。しかし、それ
がいつしか、静かな心のかよいに変わって
ゆくとき、夫婦の愛情はほんものになって
ゆくのではないでしょうか。
モロアは、「幸福な結婚」のなかで、つぎ
のように言っています。「幸福な結婚にお
いては、恋愛の上にいつか美しい友情が接
ぎ木されます。この友情は心と肉体と頭脳
に同時に結びついているだけに、いっそう
堅固なものであります」
恋愛が情熱である以上、それが、時間と
ともにいろあせてゆくことをふせぐことは
むずかしいでしょヶ。相手に求めすぎると
き、結婚は、むしろ人間の孤独をたしかめ
合5ことにさえなりかねないでしょう。し
かし、その間に浅互いに理性のうえに立っ
た理解を深めてゆくことによって、恋愛は
いつしか静かな心のかよいへと安定してゆ
くものと思います。夫婦が互いに、相手を
対等な個人として理解すること、これを、
モロアは、友情が接ぎ木される、といって
いるのだと思います。
味わい深いことばではありませんか。
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