結婚 夫婦の愛情
愛情の表現について

妻のやさしさを望むなら

流行の反抗病にかかつた妻。
お出迎えのことばをかけるのは封建的。
おまえという言い方も封建i的。
これに対して、川崎市の三十才の主婦は、
「あなたは帰宅したとき、大きな声でただ
いまと言ったことがありますか。子どもみ
たいとおっしゃらず、一度やってごらんなさ
い。奥さんだってお帰りなさいと思わず口
をついて出るでしょう」
という投書を寄せています。これはユーモア
夫も帰ったとき、「ただいま」と大きな声で
のある提案ではありませんか。人の心は鏡の
ようなものですから、夫に明るい笑顔で出ら
れたら、まさか妻も仏頂づらをしているはず
はありますまい。それに、もしかすると反対
に、妻のかたい表情は、日ごろの夫の態度の
反映なのかも知れません。
東京都の三十九才の主婦は、ミシンの内職
があるという自負心からか、などというのは
夫のヒガミ、それより妻は内職に疲れている
のです。「妻ようやさしくと望むなら、妻にや
さしく、たのもしがられる夫であってくださ
い」と、女性の立場か砂反撃しています。
どちらの言い分が正しいか、その夫婦の実
態を知らぬかぎりわかりません。しかし》そ
もそも正邪を裁判するなど愚かな話です。問
題は、新婚当時のようなむつまじさをとのも
どすにはどうしたらよいか、ということで
す。なぜというセンサクよりも、いかに(ハ
ウトゥー)するかがたいせつです。
東京都の二十九才の男性は、こんな反抗
病治療法の処方箋を寄せています。
「反抗病の原因は、妻に楽しみがないため。
だから、
一、映画か買い物かピクニックか、一家そ
ろって出かけること
二、重症の場合は、子どもを、一、二日親類
か老人に預けて、新婚旅行気分を味わう
こと
三、妻の性格によっては、組んずほぐれつ
の徹底的なケンカをすること(しかし、
てれはだれにもすすめられるという方法
ではないが)」



女はやはり損なのか

それにしても、夫がイニシアチブをとるの
を待つまえに、どうして妻から先にとれない
のでしょうか。夫が帰宅したとき、妻のほう
「食ってきたんだ」と言ってヤセがま
んをしている。

からお帰りなさい。お疲れになったでしょ
うと声をかけ、-愛想よく迎えるのは、決し
て隷属を意味するものではないのですが……
産経新聞のくらしの声欄に、こんな投
書がありました。
群馬県の二十六才の主婦の不満。

「お帰りなさいと言うと、夫はニコニコし
て上がってくるが、黙つていると、もう機嫌
が悪い。どうしたんだ。なんとか言ったらど
うだと、どなる。そこで、めんどうくさそ
うにお帰りなさいそう言うと、それだけ
かぷんと自分の書斎に入って、それきりな
かなか出てこない。夕ご飯ですと言っても
食ってきたんだと言って、ヤセがまんをし
ている。これが夫の欠点なのだ。
きょう私がカゼ気味でコタツにふせている
と、こうなのである。私はくやしくて涙がポ
ロポロこぼれた。しばらくして、のこのこコ
タツに入ってきたかと思うと、男はな、一日
中、一生懸命働いてくたくたになって帰るん
だ。そのとき笑顔で迎えてくれれば、疲れな
んかいっぺんにふっ飛んでしまい、あすも楽
しく働けるんだと言う。私だって家で働い
ているのに、夫は私が遊んででもいるかのよ
うな口ぶり。私ははいと言ってから、ふと
タメ息をついた。女って何か損をしているよ
うでならないから……」(三十五年三月二十
八日掲載)
あなたは、この意見に賛成ですか。青森県
の三十才の主婦は、
「世の亭主族の中には、おれが働いて食わせ
てやつているんだとばかり、妻を無視する人
が少なくありません。これは、お帰りなさ
いということばの問題だけではなく、妻の
座というものについて考えさせられるものが
あります」
という賛成論を寄せています。
しかし、「庶民の生活では、妻の情のある
なしが家庭の幸福を左右している。あたたか
く柔らかな家庭的ムードを生み出すのは、夫
の力以上の妻の情ではないか」(埼玉県飯能
市の三十四才の主婦)という意見や、
「外から帰ってくるのがたれであろうと、
お帰りなさいと、主婦はいつ竜はずんだ声
で迎えることを心がけたい竜の。疲れていて
も、おもしろくないことがあっても、パッと
スイッチを切り替えて……家庭の幸福なふん
いきは、そういうところから育ってゆくのだ」
(東京都文京区の四十一才の主婦)という意見
もあります。
親しきなかにも
お帰りなさい論争にこれ以上、深入りす
るのはやめましょう。しかし、考えてもみて
ください。、おおかたの夫婦は、昼間は別々に
過ごしており、いっしょの生活は帰宅から翌
朝の出勤までです。とすれば、玄関での出
合いから毎日の夫一婦愛の交流が始まるわ
け。いわば、夫婦間での第一印象です。そ
れが、夫の労をねぎらうたった一言や一片の
笑顔によって、爽やかなものになるのです。
表現ということが、いかにたいせつである
か、右の二組の例は、、それを明瞭に示してい
ます。
あの夫婦に欠けているものは、必ずしも愛
情ではありません。本心から憎み合ったりし
ているわけではないのですから。そうではな
くて、第一に、夫婦といえどもエチケットを
守ること、第二に、日常のささいな言動の中
で、思いやり、慰め、いたわりというような
愛情の表現を豊かにすることーζれに不足
しているのです。
昔の人は、親しき中にも礼儀ありと申し
ました。礼儀というと形式ばって聞こえます
し、一方が他方に仕える憾じもして、いやで
すが、どんなに慣れた夫婦の問にも、エチケ
ットと愛情を表現する技術は必要です。それ
があってこそ、夫と妻の心はなめらかに通い
合うのです。そういう配慮をないがしろにす
ると、その報いはテキメンに現われ、ギシギ
シときしったものになります。これは、結婚
生活に不可欠な愛情に基づく生活の知恵な
のです。
お帰りなさいは、ほんの一例にすぎませ
ん。では、生活のさまざまな場面で、具体的
にどんな表現方法が望ましいか。それは、そ
のときと場合によって考えていかなければな
らないことです。